第9回ミャンマースタディーツアーに参加して
株式会社タケダ 水谷 緑
(日程)平成22年10月23日〜30日
(参加者)16名:通訳3名:武田先生一行(4名)と合流
(旅行日程)
10月23日 中部国際空港からバンコクを経由し、ヤンゴンに到着
10月24日 ヤンゴンのパゴダの見学
マンダレー空港へ その後ホテルへ
スーパーで買い物、夕食後ナイトバザール見学
10月25日 マンダレーの朝市の見学
僧院の僧侶の食事風景の見学
絹織物工場の見学と絹製品のショップ
サガインのワチェ病院の訪問
サガインヒルの日本人慰霊塔参拝
メイミョ ドーピン孤児院の訪問
夜のメイミョの町を車中から見学
10月26日 マンダレー空港からヘイホー空港へ移動
ワインの試飲とショッピング
タウンジーティハムスエ瞑想センター 瞑想体験と講話
タンボジの農業学校を訪問
インレー湖のホテルへ
10月27日 インレー湖周辺観光
首長族のショップ、朝市、蓮工房の見学
ファウンドーウー寺院を眺めて水上レストランで昼食
ヘイホー空港からヤンゴンへ
ウイミンさん、武田先生一行4名をお招きしての歓迎宴
10月28日 ヤンゴン市内のウイッタカ孤児院を訪問
ボージョーマーケットにてショッピング
ウイミンさん宅でガーデンパーティー
10月29日 ジャパンハート孤児院建設現場の見学
在日本大使館の訪問
ヤンゴン空港からバンコク経由で中部国際空港へ
10月30日 中部国際空港 無事到着 お疲れ様でした。
(行程説明)
10月23日 中部国際空港に午前9時に集合。搭乗手続きを済ませ、心はミャンマーへとワクワク、ドキドキ。
今回の参加者は20歳から70歳の16名。
華やかさと明るい印象のスタディーツアーの始まりでした。
ほぼ一日中移動。夕食には早速ミャンマービールが出てきて乾杯!!
ミャンマービールで乾杯 中華風ミャンマー料理
10月24日 マンダレーへの移動のためヤンゴン空港に到着したら、欠航とのこと。
午後の出発までもう一度市内に戻りパゴダを見学。
金箔を貼ったパゴダの大きさと数に圧倒されました。昨夜からの満月日のお祭りのため多くの人が訪れてい
ました。
パゴダにお参りするのは自分の生まれた曜日によってお参りする仏像が異なるそうです。私は火曜日の生
まれでライオンが象徴となる仏像をお参りした。お花をお供えして仏像にお水をかけて拝みます。
3回お辞儀をするそうです。とても暑く日差しも強い日でした。ヤンゴンの空港に到着し、時間をつぶしやっと
搭乗。席は自由席。ヘイホー空港に途中停車してからマンダレーへ。ホテルに着いてから高級スーパーで
買い物。夕食後は若い人はナイトバザールへ。私はホテルへ。
金箔のパゴダ 町のレストランでの昼食
10月25日 マンダレーの人々が生活用品を買いそろえる朝市。主には食べ物。野菜、果物は良いとしても魚と肉に沢山
の虫が集っているのはびっくり。暑い気温の中で臭いもきつく、食中毒を心配しましたが、ミャンマーの人は
大丈夫のようです。ほとんどの家庭にはまだ冷蔵庫はないそうです。
絹織物工場ではミャンマーの結婚式に着る生地を織っている工場を見学しました。一ヶ月で一枚の生地を
織るようですが機織りは二人掛かりです。
僧侶の托鉢。食事は一日2回だそうですが、鉢に食事を入れてもらう量の多さにビックリ。また寄進される食
事の量とそれに関わる人の多さにもビックリしました。
サイクロンの後のため洪水となり道路事情が悪く途中からトラックの荷台に乗り換えてワチェ病院へ。
吉岡先生が不在のため、病院内は閑散としていた。日本からの田代医師より現状をお聞きする。一日3件
程度で簡単な手術を行う。ほとんどが虫垂炎、口唇裂、甲状腺の手術とのこと。原因は母親の栄養不足に
よって子供の健康が損なわれている様子。
マンダレーヒルの日本人慰霊塔に参拝。多くの若い日本人が自分の命を引き替えに残った者に日本の明る
い未来を託して死んで行かれたのだろうと思うと、自分の今の時間の使い方を恥じることになりました。
メイミョのドーピン孤児院を訪問。1050名の孤児が一同に集まり、キラキラした眼差しで見つめる孤児の顔に
卑屈さの欠片もなく、子供らしい素直さを感じました。「幸せなら手をたたこう」の合唱に感動しました。
その後薄暗くなった中、紙芝居を披露しましたが、食い入るように見つめる姿が嬉しかったです。
メイミョの町は昔のイギリス軍の統治下であったため、その名残の古い馬車等がありました。今も使われて
いるそうです。
マンダレーの朝市 僧侶の托鉢風景
ワチェの病院 入院患者にビッグ絵本を読み聞かせ中
サガインヒルの日本人慰霊塔 メイミョの町 車中から
10月26日 ヘイホー空港へ移動し、ワインの試飲とショッピング。素晴らしい景色とさわやかな風がワインの味を一層引
き立たせてくれました。
タウンジーの瞑想センターに到着。準備して頂いた昼食をいただく。少しお腹に触らないかこわごわと言った
感じでの食事タイムでした。
その後中期三カ年からの寄付で寺子屋を建築した部落の4人の方がお礼に来られていた。素朴な人々で、
大変喜んで頂き、大切に使ってくれるのではないかと感じました。
瞑想体験とその後に講話を僧侶にしてもらった。僧侶の話はとても新鮮で且つお釈迦様の教えを伝えるた
めに一生懸命伝えようとされる様子に感動しました。
タンボジ農業学校の到着は夕暮れ時でした。広い土地にポツンと校舎が立っていました。12年前に立てら
れた校舎のため、やや古い感じがした。学生はすでに帰宅していていたため、昨年寄付した自転車を確認
することは出来なかったが、大変喜んで使ってもらっていることをお聞きした。
インレー湖のホテルに到着。湖上のホテルは心が癒されました。
ワイン試飲会場の一部 瞑想センター
10月27日 インレー湖の周辺観光。始めに首長族のショップを訪れた。身長は140センチ位の小柄な女性が機織りの実
演と写真撮影に快く応じてくれた。彼女たちの母親は竜であると信じていて、選ばれた民族としての誇りを持
っているそうです。
朝市、蓮工房を訪れた後、ファウンドーウー寺院を眺めることが出来る水上レストランで昼食。お祭りが続い
ていて大勢の人々が寺院を訪れていた。
ホテルへ戻り、早々に身支度をしてヘイホー空港からヤンゴンへ
ウイミンさんご家族と武田先生の一行と一緒に歓迎宴。魚すき鍋のような鍋料理でのおもてなし。和やかな
雰囲気で楽しい時間を過ごすことが出来ました。ミャンマーについて多くの情報を得ることが出来ました。
インレー湖のホテルから インレー湖の周辺観光
首長族の機織り風景 ファウンドーウー寺院を眺めて
10月28日 ヤンゴン市内のウイッタカ孤児院を訪問。お祭りのため、外から学びに来る子供がいなかった。30名ほどの
孤児と40名ほどの尼僧が出迎えて下さいました。澄んだ声で歌を歌ってくださり、優しく癒される感じがしま
した。その後持って行ったビーチボールでのボール遊び、紙飛行機とばし、紙芝居と英語での対話とゲーム
を行い、尼僧の方々が昼食を忘れてしまうほどの熱中ぶりでした。
ボージョーマーケットはとても広いマーケットで外国人のためのお土産売り場のようでした。日本語が通じる
愛嬌の良いお嬢さんの呼び込みがおもしろかったです。
夜はウイミンさんのご自宅に伺い、庭でパーティーを行いました。
とても広いお屋敷で、テョウソウさんも加わり、ミャンマー語、英語、日本語での楽しい会話で盛り上がりま
した。お料理はウイミンさんの娘さんの手料理で大変美味しかったです。
最期の夜ですから、ミャンマーのバーへ行きました。まるで日本のおしゃれなお
店という感じでミャンマーであることを忘れてしまうほどでした。バイキング形式の料理には巻きすし、エビフ
ライ等々の日本食もあり、大変美味しかったです。
ウイッタカ孤児院で紙芝居 英語で全員参加のゲーム
ヤンゴンの町並み ヤンゴンの中心街
10月29日 ジャパンハートの孤児院建設現場の見学。
土地の広さは約1エーカーで650万円、建物は平屋70坪程度で540万円。かなり高い印象を持ちました。
ヤンゴン郊外にも8.5エーカーの土地を1800万円で取得、1000名規模の孤児を収容し、教育の行き届いた寺
子屋を建設し、職業訓練の学校も将来は建設を予定してみえるようです。孤児院建設の目的は、人身売買
の阻止、エイズで親を亡くした子供達の保護ということです。
(平成22年12月12日又は19日に情熱大陸で放映予定だそうです。)
在日本大使館を訪問。携帯電話、カメラは入り口で預けられ、厳重な入り口から中へと進んだ。野村第2秘
書官から、ミャンマー事情について多くをお聞きすることが出来た。
あっという間のミャンマースタディーツアーでしたが、無事すべての訪問予定を終了し、ヤンゴン空港から
バンコクを経由し一路中部国際空港へ
河野さんへ絵本と紙芝居の寄付
(ジャパンハートの孤児院建設中)
10月30日 朝7時30分頃、中部国際空港に到着。
少し肌寒さを感じつつ、お疲れ様でした。
(後書き) お釈迦様の教えを大切に日々暮らしているミャンマーの人の穏やかな心は、日本の先祖を大切にする教え
から生まれる日本人の誇りに共通することが多いと感じました。また素直な心が眼差しに現れているように
思うのは私だけではないと思います。日本の現代の世相を考えると資本主義の名の下で拝金主義が横行
し、日本人の心を損得で計るようになったことを反省するばかりです。出来ることなら、ミャンマーが日本を
教訓にして、今のままの優しさや穏やかさを大事にしつつ、心豊かな国として発展していくことを願うばかり
です。今回の旅行はケーススタディーということで各自に役割分担があり、積極的にミャンマーに近づくこと
が出来ました。
準備等で近藤さん、大木さんには大変お世話になりました。又参加させました方々にも大変お世話になりま
した。文末ですがお礼を申し上げます。ありがとうございました。
拝