2006ミャンマー報告
060918日〜23日 ミャンマー行き 豊友会
見聞した内容の記録です。
※聞き間違いや、教えてくれた人の主観が入っている可能性もあるのでそのつもりでご覧下さい。
【道中に聞いたミャンマーの情報】
ミャンマー人口5000万人
ヤンゴン600万人の都市 マンダレー400万人
首都
1885年までマンダレー
1885〜1947まで英国植民地 戦後また英国が来たが独立を勝ち取った。
2005年までヤンゴン(ラングーン)
2006年よりピンマナ(ヤンゴンから北へ300キロ)
都市は北・東に発展していく傾向がある。
ピンマナへの遷都は謎。
ミャンマーの中部に位置するためミャンマーの発展に向くとの判断とされているが、一説にはヤンゴンは海に近いためアメリカに攻められた時、海からの砲撃ですぐ落とされてしまうという懸念からとの考え、古い遺跡から国の中央に首都を置くと栄えるという記述が見つかった。
電力の安定供給の問題
遷都後ヤンゴンでのテロは静まっている。
デートはお寺
山田さん「不憫な国 正直すぎて損している。世界中の人がこんな人たちなら平和だろうなという国」
怒ることはみっともないことだという国
古い日本の車がたくさん走っている。
車に載っているエンジンは他の車のものだったりする。
ターコイズ ルビー サファイア ヒスイ ペリドット シルバーの産地
ハイウェイにはお金をかけている 80kmくらいで走れる
独立の父アウンサン将軍は日本の大学を出ている
最近ではアウンサン将軍を知らない子供も増えてきた。
ミャンマー人は親日派が多い
早朝 空港への移動中 お坊さんやジョギングする人の姿がたくさん見られた
テレビ カネボウテスィモの日本のCMがそのまま流れていた
ミャンマーは135の民族がいる
ビルマ民族の住む地域は県 他民族の住む地域は州とされている
07年からはビザなしになる。
ミャンマー⇔中国は無税
国境はタイと一番多く接している
今は日本の中古車の輸入が規制されているが、日本車の人気が高い。中国車は人気がない
バイクはホンダが人気。中国のバイクもそこそこ流通している
お坊さんはバスは無料。
有料道路自転車とバイクは無料
ヤンゴンはバイク規制がある。軍のバイクしか走れない。
よく停電する。
ミャンマーのマンゴーは世界的にも最高級。三越でも売られていた。
ミャンマーの土地所有権について
代々の土地はその人のもの、99年リースの土地、15年リースの土地。
経済制裁で海外からのミャンマーへの投資ができないが、人の出入りは規制なし。
雨でも傘をささない人が多い。
野良犬が多い。猫はあまり見ない(孤児院で1匹だけ見た)
水牛・馬・牛などの家畜も道中多く見られた。
自動車人身事故は問答無用で運転手が悪い。死亡事故なら7年刑務所。
雨宿りでお店軒先にいた時、店の人が親切にどうぞどうぞといすを差し出してくれた。
民間の有料道路もある。
ミャンマーの人の価値観はどんな仕事をしているかではなく、仕事があるか無いかの価値観。
10人家族で一人だけ働いていると言うこともある。
全国に120万人のお坊さんがいる。
ミャンマーは全世界仏教会議が開かれる所。
狂犬病に注意が必要
兵隊は志願制
ネット・メール 検閲がある。政治的なやり取りがないか
写真を添付すると容量が大きくて詰まってしまう
【お世話になった方】
チョウソウさん
ウィンミンさん
ダジュンさん
スーさん
【マンダレー空港】
マンダレー空港の飛行機から空港建物までの移動バスは、6台見かけたうち5台は名古屋市交通局のバスのお下がりだった。おなじみのデザインのバスが飛行機と建物の間を行ったり来たりする様子は実にシュールな光景だった。
ミャンマービールは外国人にも評判のビール 世界のコンクールでも受賞したこともある。
【ネルソン氏のセメント工場】
商工会議所会長工業団地団長
国内で使われる25%のセメントを製造。似たような工場は国内で他に2箇所ある。セメントは輸入にも頼っている。
セメントの需要は非常に高い。先にお金をくれるくらい供給が不足している。
山の掘り出し工夫1トンいくら
検査の女の子 大学卒 入りたてで月60$休みはほとんどなし
工場内の作業者 一日安くて1.5ドル
ネルソン氏 商売は茶畑から始めた。
1994からセメント工場。 1トン80ドルで売れる。
タイ・中国・韓国・インドの技術指導を受けた。
年商12億円のうち7億がセメント事業。
パイプライン・道路・ダム・橋 あらゆるところでセメントがいる 学校・病院
品質が問われるので、政府が簡単に認可しない。
セメントは保存すると品質が落ちてくるので在庫のないように作っている。
ネルソン氏が語るミャンマー人の姿
ミャンマー人は我慢強く仲間意識が強い。欲が少ない
ミャンマーに株式上場はない。ネルソン氏はシンガポールでやっている
【チーク木材工場】
ネルソン氏の長男 チョウソウさんの同級生の経営
イタリア・フランス・タイ・日本(大手ホームセンター)向け
8割が輸出2割が国内
フローリングや家具(ダイニングテーブル・イスなど)の製造
【サガイン 吉岡先生の病院】
ジャパンハート代表
海を越える看護団 日本代表
(9月1日にジャパンハートの看護部門を閉鎖して新たにつくった看護師を中心とした国際医療組織)
お金がなくて治療が受けられない人たちのための病院
お寺の経営する病院を間借りする形で治療している。もとは尼さんやお坊さんのための病院から始まった。
テナントのような形。オーナー側の病院と吉岡先生の病院が同じ建物にある。
奥さんは大阪で小児科医をしていて資金を送ってくれている。吉岡先生は持ち出しで治療をしている。
戦争のとき日本兵はミャンマーの方々に大変助けられた。家にかくまったり食べ物を与えたり。
ミャンマー滞在中に遺品を預けられたこともある。
そういう事実を知り、何か返せるものはないかと思った。
恩返しは誰がやってもいいこと。幸いにして自分は医者だった。
年千件近くの手術をしている。
組織のことお金のこと人を集めること。やらなきゃいけないことがある。
支援は話し合って納得していただける方に支援していただいている。
ある中学生から手紙があった。「いくらあればどれくらいの人の命が助かりますか」
お金の額ではなくて、お金に人を助けるという善意がのっていることが重要だと自分は考えている。
本当はすべて無料で治療したいが、他のミャンマー人の病院も周りにあるので、患者をとり過ぎないようにしないといけない。
経営のため病院を運営しているお寺もなるべく高くお金をとりたい。
無料も問題がある。お金がある人も来てしまう事。
患者がどれくらい払えるのかの判断が非常に難しい。入院中食べているものとか(病院からは食事は出していない)をみて判断している。
全国から患者が来る。ヤンゴンからも。
治療費はどんな手術をしたかではなく盲腸はいくら、この病気はいくらという考え方で決まる。
専門性の高いことはできない。日本と同じことはできない。ミャンマーの基本的器具を使ってやれることをやる。
日本の医師が当然のようにやっている、「これしか診ない」ということはやらない。医師であるということ自体がスペシャリティだと考えている。看護士は必要に迫られて2〜3ヶ月でミャンマー語をおぼえてしまう。
看護士はありとあらゆる事をやる。日本では看護士には禁止されている治療もやっている。
外国人であるために手に入りにくい薬もある。できることをやる。できないときは他の病院へ送っている。
いろんな病気の人がいる。自分はもともと外科医なので、外科の患者が多い。外科が得意と言うことも口コミで伝わっている。
国内に医者や看護士の数は少なく、村の医療は看護士や一年だけ研修を受けた人、伝統医療の役割になっている。
ここで治療できないものは紹介状を書くが、癌とかはお金がかかるのを知っているので、紹介状を書いても患者は行かない。行けない。
こういう場合2つしか選択肢はない。最後まで診るか、最初から診ないか。
お金が続かなくなって途中で治療をやめてしまうなら、最初から行かないほうがいい。
紹介状は書く。すべての人は救えない。心が動いて自分が資金を援助して治療する人も中にはいる。
ミャンマーの大病院の医者は大変威張っている。部屋に来ただけで1000円取る。月収100万円以上ある医者をたくさん知っている。
ひとつの病院に医者は長くいない。転々とする。政府の保険に対する予算は少ない。インフラ整備などのほうが優先されている。
形はともかく患者と自分と一対一の繰り返し。1000人やってやろうではなくて、一対一の繰り返し。
家族の気持ちとかを考えて一人一人に向き合っていくことを貫いていきたい。
組織運営上の立場。自分が診るのではなくて、日本にいる人でミャンマーで働きたい人がいっぱいいる。
後ろに続いている。
支援は病院建てたりすることが多い。続きたい人のために道を開きたい。
はじめは一人でやっていればそれでよかったが、続きたい人が出てきたのでその人たちに道をひらきたい。
サポートは東京大阪に事務所がある。
ヤンゴンからバンコクへの帰りの飛行機で、吉岡先生の病院にいたお二方が偶然一緒だった。
一週間の海外研修としてみえていた。
ミャンマーに親戚がみえる。
日本で預かった寄付の品々と5万円を寄付させていただきました。
【クドードォ仏塔】
仏塔が750位有る 一つ一つの石版にお釈迦様の言葉が書いてある。
【織物工場見学】
「ヒラノセイサクジョ」製の古い織機が稼働していた。
12年選手の熟練者新人を育成しながら2m織るのに1ヶ月かかる。2mで10$≒1ヶ月 出来高制
【お坊さんの大学】
お坊さんの食事風景
たくさんのお坊さんが列をなしてご飯をもらいに来る。
肉も食べて良い。いろんなおかずが混ざったものを食べる。
量は多い。ご飯も一人茶碗3杯分くらい配られていた。
5時と11時の2回食事がある。12時を過ぎたらものを食べることはできない。
お坊さん見習いの子供もいる。
欲を捨てるので、おいしいまずいは言わない。
外国人の観光客が大勢いた。
【金箔工場】
24gの金から3600枚の金箔を作っている
1日の日当は3000〜4000チャット
【偶然一緒になったお坊さん】
「ディーターク」という高名なお坊さんが飛行機と宿で一緒だった
ミャンマー人はみんな知っている、ミャンマーで5本の指に入るお坊さんらしい。畏れ多くて写真には撮らず。
【バガン】遺跡
11世紀に作られた門1箇所だけ残っている。世界遺産にはなっていない。
仏塔などの遺跡がそこかしこにある。ヘタな世界遺産もかすんで見えるくらいの素晴らしい眺め。
【バガンの宿で聞いたお話】
インパール作戦が考えられたとき、ビルマ人が偵察に行った。無数の英米兵が待ち受けている状態で、この作戦はやめた方が良いと進言したが、聞き入れられなかった。
この作戦の目的は敵の補給路を断つことだったが、それはもっとビルマ側の都市で待ち伏せして補給を断てば問題なかった。
相手の送ったおとり部隊に快勝し、調子づいてそのまま進撃してしまった。エサに食いついてしまった。
戦後、日本軍2万がインドネシアに残って独立のために戦った。その時ビルマからは8万の兵を送っていた。
戦後ビルマに日本兵が残ったという話はほとんど聞いたことがない。
ミャンマー人はタイ人と仲が良くない。タイ人は言うこととやることが違う事が多い。
インドネシアはタイと違って人柄以前の問題。命が危険。タクシーに乗ると殺されることがある。レストランの後タクシーに乗ると、殺されないように店員が同乗してくれる事もある。イスラム教国だからなのか簡単に人を殺してしまう。
ラオスは仲が良い
ウィンミンさんは昔農林大臣だった。
ケシの花をソバに替える活動。渡辺美智夫がはじめさせた。ソバができたとき、凄く喜んで自宅で自分の手でソバを打って祝った。ソバがあまりがちになると蕎麦焼酎づくりをさせた。
(滞在中のホテルで麻薬撲滅のCMを見た。末期の麻薬中毒者のショッキングな映像が流れていた。アイドルが麻薬は止めましょうと呼びかけるだけの日本のCMとは違う。かなり深刻な問題のようだ)
ビルマの王は世襲制ではなく優れた人が継ぐという制度
遺跡の場所には舗装させて貰えない。遺跡が壊れてしまうから
バイオディーゼルの燃料になる木の栽培 1ガロン20ドルになる。国策として行われている。
2500年前仏教が伝わったのでミャンマーの暦は2500年のはずだが、昔の王がより古い時代の王であったことにしようとして暦を巻き戻した。そういうことが何回か行われた。今は1369年になっている。
【鎮魂碑】
戦争で命を落とした日本兵の鎮魂碑。ミャンマー人の手によって多くの遺体が埋められた。
シャツを脱がせシャツの持ち主を埋めた場所の地図を書いておいたのでどの骨が誰のものか分かるケースが多かった。
バガンからヤンゴンに戻り、最後の夕食会。一人一人が感想とお礼の言葉をのべた。
日本人の経営する遊園地。
【孤児院兼学校】
120人の子供達がいる
住んでいる子、自宅に帰る子(すべての生徒が孤児というわけではない)
中学5年まではここで学ぶ。それ以上はここから通う。
1歳8ヶ月の時に入った子が今までで一番小さかった子。今は中学5年生になっている。
ミャンマー民族は少ない。
近所の人が「あの子は親がいないから面倒を見てあげて」と知らせてくる場合や、お坊さんが山に行ったときに見つけて連れてくる場合などがある。
今の人数が精一杯。入りたい子供はまだまだいるが、今いる子の面倒も見なければならず断っている状態。
親のいない子、事情があって親と別れた子、遠い地域から勉強のために来る子もいる。
尼さんの道を選ぶ子もいる。
運営費はミャンマー・日本・マレーシア・子供の親族からの援助。日本からが多く、建物も日本の援助。
1日3食食べさせている。お米代は月に40万チャット(約4万円)
寄付が途絶えて音信不通になることもある。電話はあるが通じにくい。
学費・交通費は1日4万チャットかかる(約4千円)
自分の誕生日も知らない子がいっぱいいる。
男の子は10〜13歳で他の所に行く。ここは女の子がメイン。(恋愛問題を避けるため)
里親制度はない。悪用して人身売買する人がいるため。
医者は近くにいない。何かあったらお金を払って呼ぶしかない。山から来た子も腎臓に病気を持っている
訪問者から1万円ずつ 13万円を寄付させていただきました。
【ウィンミンさんのチーク製材工場】
イタリア製の乾燥炉 かなりのお金をかけている。
出荷先は日本が主 フローリングを製造している
行った中では一番庶民的な食堂。清潔で味も良い人気の店とのこと。旅行の間中日本人の胃腸の弱さを気遣っていただいた。
ヤンゴン最大の聖地、シュエダゴン・パゴダ。巨大な建築物と仏像が所狭しと建ち並ぶ。
日本の仏教と違い、明るいイメージがある。にこやかな仏像も多い。
この度はミャンマーの視察旅行に参加させていただきありがとうございました。
このような機会を頂いたことに大変感謝しています。
志あるお医者さんとの出会いや、戦時中我々の先輩がこの地の人たちに大変お世話になったこと。
貧乏で気の毒な国を訪れる気持ちで参加しましたが、そこには世界に誇れる文化と歴史があり、素朴で素直に生きる人の姿がありました。
幸福度という観点で見れば、日本人よりミャンマーの人たちの方が幸せに暮らしているのかも知れません。
また、日本は色々問題点ばかり指摘されますが、ここまで豊かな国になったのは、先人が道路や電気・水道などのインフラを整え、法律や制度を整備して、また一人一人が一生懸命働いて築かれたものだということも強く感じました。ミャンマーでは戸籍さえハッキリしない事も多いようです。日本で当たり前、会社で当たり前と思われていることでも、そのために汗を流した人がいたということは、おぼえておかなければならないと思いました。
帰りの飛行機で偶然にも吉岡先生のもとで働いていた医師の方と一緒になったり、ミャンマーを代表するお坊さんと飛行機や宿で一緒であったり、また参加者の方の知り合いの方がお世話になった方も共通の知り合いであることがわかったりと、不思議なご縁のある旅でした。本当にありがとうございました。
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